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井川香四郎
koshiro ikawa

ご隠居は福の神
2
幻の天女

小名木川沿いにある銀座御用屋敷で騒動が勃発した。幕府が公営している銀貨、銭貨を鋳造する役所であるが、実質は幕府の許可を得た御用商人が請負事業としていた。庶民は金貨を拝むことはなく、銀貨や銭貨は日常で必要不可欠なものだった。この御用屋敷で働く者たちは重労働を課されている。熱い炎を扱うので火傷同然に体が焼けたり、溶けた金属のために入病を患ったり、鋭い刃物でけがをしたりする者が絶えなかった。500人あまりの職工が奉公していたが暮らしぶりは豊かにならない。年老いて作業ができなくなるとお払い箱。奉公人は給金を上げてほしいという望み以上に人扱いをしてほしいという気持ちが強かった。その先導役は三十路に入ったばかりの栄五郎だった。当主は日向屋善兵衛。そんなに嫌ならいつでも仕事を辞めろと言い放つ。交渉が決裂したので奉公人たちは話がまとまるまで仕事場に出なくなった。人気がなくなった御用屋敷に盗賊が入ったのはそれからまもなくのことだった。主夫婦は惨殺された。一人だけ娘が生き残ったがあまりのショックに言葉が出なくなっていた。吉右衛門は娘を引き取り和馬の屋敷に連れてきた

(2024.5.15)二見時代小説6482020

ご隠居は福の神
1

旗本でありながら深川に屋敷を構える高山和馬。わずか二百石取りの和馬は上総一宮に領地があり俸禄を受け取っている。三百坪の屋敷には自分一人で暮らす。困った人たちに蓄えや俸禄を惜しまずに与えるから自分が貧乏になってしまう。深川には藪坂という医師の深川診療所があった。近ごろ、小さな咳を繰り返し急に痩せていく患者が多くなっていた。隠居風の老人が訪ねてきた。古稀を過ぎた頃の老人は吉右衛門と名乗った。藪坂は吉右衛門の仮病を見破った。何のために来院したのか。そのとき、近くの藪坂が管理をしている寺の賽銭箱に十両もの小判が入っていたと若い医師が報せに来た。年に二度、一度に十両の小判が入っているという。それを知った吉右衛門は境内に向かった。すると和馬が思い詰めた顔で川面を見ていた。そこに地元のごろつきが近づく。十両の金を賽銭箱に入れたのを目撃されていた。財布に残っているだろう残りの金を脅し取ろうとしていた。しかし、和馬は財布にあった小判を全部賽銭箱に入れたのでごろつきに渡す金がなかった。信じようとしないごろつきが力づくで和馬を襲う。すると吉右衛門が素早く近づき、ごろつきたちを退治してしまった(2024.5.14)二見時代小説6482019

与太郎侍
2
江戸に花咲く

日本橋新右衛門町のおたふく長屋。朝から住人が起き出してきて一軒の長屋の前で文句を言う。ガーガー、グーグー一際大きなイビキが聞こえてくる。イビキの張本人は長屋の住人から与太郎と呼ばれている気ままな浪人だ。与太郎は本当は小田原藩の支藩で江戸家老を務める武士なのだが、箱根山中で育ち、たまたま山を降りたら家老にさせられたので武家の窮屈な暮らしを嫌がって長屋住まいを続けていた。気持ちよく目覚めた与太郎はいつもの日課で町を歩き日本橋で遠くの富士に感嘆の声を上げた。その時、目の端に内儀風の女が目に入った。どうしたのかと尋ねると「この辺りに子返し天神はないか」という。江戸の地理に詳しくない与太郎は、道ゆく人に尋ねて、それが楓川神社だと知る。地元では胡散臭い神社として有名だった。与太郎は女と共に神社へ向かった。そこには風采の上がらない宮司と薄汚れた氏子が数人いた。宮司に事情を話した与太郎は、お絹と名乗った女が詳しい話を始めた。孝助という5歳になる孫が婿の兼蔵に連れて行かれてしまったという。娘は流行病で亡くなり、その葬儀の後に孝助が兼蔵に連れて行かれたのだ。孝助の居場所を霊感を使って探し出します、そのためには幾らかのお金が必要という宮司にお絹は実家から持参した大金を渡した。与太郎はこの神社に違和感を覚えながらも、孝助探しに一枚肌を脱ぐことになる(「子返し天神」より)(2023.8.21)集英社文庫660202212

与太郎侍

1与太郎侍

箱根山中で育った古鷹恵太郎。父親は恵太郎が幼い時に亡くなっていた。祖父が恵太郎を連れて箱根山中にこもり二人だけの暮らしを長く続けた。猪や鹿とともに山をかけめぐり、祖父から人の生き方の根幹を学んだ恵太郎。祖父が亡くなったので山を下りて市井の暮らしを経験しようとした。大磯の浜辺でいきなり幼い子どもをかどわかす浪人連れに出会い、お互いを諭して子どもの命を救った。父母は恵太郎に深く感謝したが、恵太郎は二人が実際には父母ではないことを見抜いていた。小田原は江戸開府の昔から箱根の関所を任せられた由緒ある藩だった。水野忠邦が老中になって小田原藩とのかかわりが薄くなり、藩士たちは老中の企みによって藩が改易にならないように富を蓄えて準備していた。領民から法定以上の無謀な年貢をかき集め圧政を敷いて幕府への忠誠を示していた。恵太郎はそういうことに無関係な立場だったのに出自が明らかになるにつれて政との関りが増えていく

(2023.6.7)集英社文庫70020228